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グローバルな視線でものづくりを改革する。
―外国人材の雇用と海外展開を進める明日への戦略とは―

人口減少により労働力不足が深刻化する状況下、2019年4月1日より「改正出入国管理法」が施行された。この改正法により、在留資格に「特定技能」が新設され、新たに14の業種で一定の技能を有する外国人の就労が可能となり、今後さらなる受け入れ拡大が見込まれる。また以前から注目されていた、ものづくり企業の海外展開も多様性を帯びてきた。
今回は、いち早く外国人採用に踏み切り、さらには日本の文化も伝える語学学校を設立して、自社だけでなく他社へも外国人材を供給する企業、海外に進出し、現地スタッフとの関係を築きながら成長する企業、また日本人若手社員の育成を目的に海外に拠点を置く企業、と三者三様のアプローチからテーマを掘り下げる。現在の取り組みやその成果、苦労など、経験者にしか語れないエピソードの数々には、ものづくり企業にとって多くのヒントが隠されているはずだ。

人材不足、海外進出、外国人雇用は課題解決のキーポイント。

ファシリテーター
独立行政法人 中小企業基盤整備機構 近畿本部
堀 昌徳氏

テクノグローバル株式会社
代表取締役 髙田 弘之氏

堀ーまずは各社の海外とのつながりについてお聞きかせください。
松本 当社はすでにバブルの時期に、「仕事はいくらでもあるのに人が足りない」という体験をしたんですね。そのときにこれからの少子高齢化を見据えて、外国人雇用が必要だと実感しました。まずは日系二世三世からはじまり、2000年からベトナム人を本格的に採用しています。今では製造現場の主力はほとんど外国人です。それと2014年から日本語学校(BASIC日本語学院)を運営し、外国人材を教育して人材確保に苦しむ企業に供給する体制もできています。
髙田 生徒はどの国の出身が多いのですか?
松本 ベトナムが50%近く。それ以外でも東南アジアだけでなく、ネパール、ミャンマー、スリランカ、ウズベキスタン、インドネシアなどなど。今度、アフリカからも生徒がやって来る予定です。
髙田 とても多国籍ですね。
松本 極力ひとつの国だけで集めたくないので。さまざまな国の人々がいろんな意見を持って集まり、卒業してからは仕事でもつながるのが、私にとっての社会貢献。今は個人という草の根レベルですが、国境を超えて仲良くなれば、いずれそれが大きなパワーを持つかもしれません。
髙田 私たちはとても小さな会社ですので、いきなり大きく海外進出するのは難しく、最初のドンナイでは約30坪の小さな工場からスタートしました。それから、ホーチミン交通大学の構内にある工場に移転して金型製造から稼働させ、昨年ホーチミン市の工業団地「ビーパン・テクノパーク」に新たに工場を開設し成形を始めました。そしてこの度、ロンアイに8月末に竣工した約600坪の工場に全てを集約しました。
神谷 ベトナムに進出されたのはいつ頃ですか?
髙田 2011年に決断し、3年間の準備期間を経た2014年ですね。
神谷 スピーディーですね!
髙田 2006年に起業したばかりで、国内事業もまだまだ安定していないのに今思うと無謀ですね(笑)。本業はプラスチックの金型製造ですが、これは斜陽産業。独立時も周囲から驚かれたくらい。起業しても人材がいないので、自分たちの仕事を助けてくれる人を探していた。同時に「自分たちが培った技術も継承したい」という想いもありました。日本人の若者が来てくれないのならとベトナム人を採用。今では専門家派遣制度を利用して、当社で育ったベトナム人2名を現地に送り出しており、72歳の熟練金型職人も現地で技術を教えている。こうしてベトナムでも、開発から完成品まで一貫製造できる体制が整ったという感じですね。
神谷 ベトナムを選ばれた理由は?
髙田 2011年にベトナムに拠点を持つ大手企業から、そこの金型部門を担当してくれないかと依頼されたのがきっかけです。ただ工場開設予定のハノイを現地視察したのですが違和感があって。何となく肌に合わないというか。ところがその帰りに南部のホーチミンにも寄ってみたら、ひと目で気に入ってしまった。自社のある八尾に近い感じがあって。
神谷 たしかにホーチミンは大阪っぽい。
髙田 人情味もあって、ここだったらやれる気がして決断しました。大手の顧客はハノイに拠点を持っているので、そちらに開設したほうが、仕事は増えるのはわかっているのですが(笑)。

株式会社三共製作所
代表取締役CEO 松本 輝雅氏

神谷機工株式会社
PT. KAMIYA SAW & KNIFE INDONESIA
President Director 神谷 宗孝氏

海外で若手社員が自発的に技術を身につけるしくみを確立。

豊富な海外経験を持ち、グローバルな視点で会社の将来を考えている神谷氏とインドネシアのスタッフ
●神谷機工株式会社

神谷 当社も海外に進出して5年が経ちます。何カ国もまわってインドネシアに決めました。お二人は外国人の育成に力を注がれていますが、うちが海外進出したのは逆に日本人育成が目的です。
松本 日本人の若手ですか?
神谷 そうです。どの企業でも同じだと思いますが、うちでも現場の課題である、「若手が育たない」「人材不足」が解消されずに何十年もきました。私がいずれ承継するのに、同世代やそれより若い人たちが育っていかないと、会社の未来は暗い。ではどうやって変えるか。また自分も含め日本の若者にとって、仕事の本質とは「誰かの役に立って感謝されること」だと思うのですが、今の時代、日本社会ではそれが感じにくい。若手を育てるためには、仕事の本質を感じられる社会に日本から社員を連れていかなければと考え、海外進出を決めました。自分たちができる仕事で「ありがとう」と言ってもらえる市場を探して、インドネシアにたどり着いたんです。それと海外進出に関しては私が大学卒業後2年ほどドイツで働いた経験から、「これからのビジネスは国境を越える」と実感したのもあります。
髙田 インドネシアは、何が決め手になったのですか?
神谷 ほかの土地では感じられなかった、得体のしれない活気があって(笑)。世界一の渋滞大国でツーリストインフォメーションもない。しかし人間は「便利に豊かに暮らしたい」と思う生き物です。この大変さや不便さにこそ成長がある。ここなら多くの「ありがとう」を集められると思いました。
松本 どんなやりかたで若手を育成するのですか?
神谷 私たちの仕事には刃物のボディの微細な凹凸を平らにし、刃物づくりの肝とも言える「歪み直し」という工程があり、この技に若い職人は憧れています。そこで、簡単ではないこの技術継承を早期に実現するために、若手にフリーに動いてもらう環境づくりを行い、自分自身の意志で行動してもらいました。つきっきりで教えるのではなく、責任と役割を与え、上の世代がサポートに徹するスタンスです。そうすることで若い人は自分で考え、成長するんです。この根本にあるのは「内を変えたければ外へ出よ!」という考えで、海外進出もその一部です。会社全体を大きく動かすことにつながりました。
松本 海外で若手の自立心を鍛えると。
神谷 そうですね。あと、海外に行く前に、NPO法人JAEが企画する『ドリカムスクール』に2年間、若手と一緒に参加しました。これは社会人が子どもたちに自分たちの仕事のやりがいを伝え、夢を持ってもらうもの。仕事体験プログラムに取り組むなかで、「仕事=人生」だと思えるようになり、そういった経験を積んだのちに海外に行くので、自発的に新しい技術を覚えようとチャレンジするようになるんです。社員教育と社会貢献の目的がありましたが、結果として、海外へ行く若手人材を発掘するのに大いに役立ちました。

切断・切削材質に合わせて最適な刃物工具を提案しオーダーメイドできるのが強み。スマホ・食品・住宅や自動車など、多くの産業分野で顧客の悩みを解決する
●神谷機工株式会社

海外拠点をインドネシアに定めるまで40ヶ国以上視察したという。今後は欧米進出も目指していく
●神谷機工株式会社

外国人の定着率を高めるためにやりがいや働きやすさの工夫を。

現在、約100人ほどの外国人が在籍するBASIC日本語学院。授業にも積極的な姿勢でのぞんでいる
●株式会社三共製作所

堀ーみなさんの国内での外国人採用状況はどんな感じですか。
髙田 ベトナム人が4人在籍し、現地の責任者は勤めて、もう8年ほどになります。
神谷 ビザの取得も髙田さんがサポートされているのですか。
髙田 最初は私がやっていましたが、今は自分でやってくれています。
神谷 当社は香港出身の男性を、日本法人で採用し海外事業部で勤務していただいており、大変活躍してもらっています。
松本 製造現場は約100名、全体で150名ほど在籍していますが、技能実習生は40名ほどで、正社員が14名ほど。ベトナム人が多いですが、ミャンマー人もいます。それと日系二世三世が20~30名近くいて、私どもの日本語学校から留学生アルバイトも何人か来ています。外国人でライン長として責任のある役職に就いている人も2名。彼らは日本で結婚して家を建て、子どもを幼稚園に入れている。よく外国人雇用に関して「定着率が低い」と言われますが、少なくとも当社ではそんなことはない。彼らはプライベートでも仲がよく、休日にはパーティーをしたり、USJへ遊びに行ったりしています。外国人同士で社内結婚した人たちもいますよ。
髙田 うちも日本で結婚して、家を建てた社員がいます。
松本 当社は以前から積極的に外国人を採用してきた実績があり、現在も多くの外国人が在籍しています。採用に対して最初は不安を持つ企業さんも多いと思いますが、事前にあれこれ悩むより経験するのがいちばん。結局、人対人の話なので。よく言うのは「入社3ヶ月は我慢して下さい」ということ。それを越えれば、少しずつ相手の性格やペースがわかってくるので大丈夫です。これまで70社近くに外国人人材を紹介していますが、ギブアップされた会社は1社もありませんし、むしろ感謝されることが多いです。
神谷 社内に多く外国人を採用されているだけでなく、日本語学校も運営されて、いろんな国に人脈もある。それなのに松本さんが海外に進出しないのは、何か理由があるのですか?
松本 それはよく聞かれるんです(笑)。さかのぼって2000年頃には「海外に行かない企業とは取引しない」とまで言われました。当時は中国進出する企業が多かったのですが、私はインスピレーションでベトナムへ目を向けた。そこで人脈をつくり人材を育て、企業の現地進出のお手伝いもしました。そうやって深く関わると、人件費の低いところは利益も出にくい実情も判明します。ただ販売力はある。そこはBtoBが基本の私たちにない魅力があります。そういったことを秤にかけて、今は「あえて進出しない」という選択をしています。とはいえベトナムはじめインドネシア、ミャンマーなど、いつでも海外に進出できる体制はできています。
堀ー「あえて進出しない」けれど、準備は万端ということですね。ところで社内に外国人がいることで、若手の意識は変わりますか?
松本 それはあまりないですね。ただ日本語学校のほうは日本語を学ぶだけでなく、この国に興味を持ってもらうために書き初めや茶道、華道からマンガまで最低でも月に1回、日本文化に触れるイベントを開催しています。生徒は18歳から30歳くらいまでが中心ですが、たとえば書道を教えると目をキラキラさせて一生懸命取り組む。子どものように将来に対してワクワクドキドキしながら学んでいる姿を見ると、この仕事をやってよかったとつくづく思いますし、彼らからもらうエネルギーも大きいです。
髙田 うちの社員だけかもしれませんがベトナム人には、みなさんが思っているようなハングリーさはないんですよ。「納期が大変だから」と言えばやってくれますが、自分から残業しようとは言わない。日本では仕事が終わらなかったら、残業して終わらせてから帰るということが多いですが、現地だと夕方5時になるとぴたっと仕事をやめるのが普通です。敷地内にあるコートでバレーボールやサッカーしたり、余暇をエンジョイしてますよ。
松本 ベトナムでの残業代って時給の1.5倍ですよね。
髙田 さらに休日出勤だと2倍です。残業がつけばつくほど稼げるのに。それでも無理して働かない(笑)。
神谷 人生における優先順位が違う。国ごとに異なるそういった価値観も理解する必要がありますよね。

多くの外国人が働く三共製作所では寮も用意されており、女性専用の寮もある
●株式会社三共製作所

現在、従業員の70%が外国人。国籍もベトナム、ミャンマー、タイ、ネパールなど10ヵ国近い、多国籍集団の活気あふれる工場
●株式会社三共製作所

文化や習慣の垣根を越えて、異文化を相互理解するために。

大阪大学との産学連携で開発された携帯式重金属検出装置「AQSCIL」は、東南アジアでの需要も高い
●テクノグローバル株式会社

堀ー多種多様な価値観の違いや異文化との接し方については、どんな工夫をされていますか。ベトナムでは条件が良い会社にすぐ転職すると聞きますが、そのあたりで気をつけてらっしゃることはありますか?
髙田 当社の離職率はとても低いです。特に工夫はしていませんが、まずは家族的なつきあいを大切にして、それと社員にとってやりがいが感じられる環境も整えています。
神谷 インドネシアは世界最大のイスラム国家。「宗教が違うから大変だろう」とよく言われますが、それ以上に考え方の違いが大きい。たとえば注意するときも頭ごなしに叱るのではなく、なぜ私がこういうことをあなたに言っているのか、理由を丁寧に順序立てて説明します。そして自分は「こうして欲しかった」ということも具体的に伝えるようにしています。
髙田 当社の現地採用は大学構内の工場なので、インターンシップを受け入れて、優秀であればそのまま入社してもらうようにしています。その採用もベトナム人を現地責任者として、彼に一任しています。文化や習慣の違う日本人が現地で指図するより、その国の人間に責任を持たせて仕切らせるほうがうまくいく、というのが私の考えで。ホーチミン工場からの引っ越しでは約30キロも離れた新工場なので「辞める人が出るのでは」と心配でしたが、家庭の事情でどうしても離れられない人ひとりをのぞいて全員がそちらに移ってくれました。これもベトナム人の責任者が細かくフォローしてくれたからだと思います。
神谷 その責任者は日本で育てられたのですか。
髙田 そうです。うちに入社する前に金型製造の経験があり、八尾の工場で本格的に技術を習得しました。その後、PREX(公益財団法人太平洋人材交流センター)の、第1回ベトナム人社員向け管理者養成研修を彼と一緒に受講して。それまで製造や技術に関することは話していても、経営や組織運営についてはほとんど話すことがなかったのですが、ここでお互いの考え方を理解して信頼関係も築けた。この研修で彼にベトナム工場のリーダーを任せられるかどうかも、見極められたと思います。
松本 うちは製造の現場は外国人のほうが多いので、常日頃から「日本の考え方を学んでください」と言っています。
神谷 あと、異文化理解には、まずできるだけ同じ目線でいることが大切じゃないでしょうか。現地の人から見ると、インドネシアの日本人駐在員の中には殿様のような生活をしている人もいると。運転手付きの車で移動し、土日もゴルフやカラオケ三昧。そんな生活をしていては一緒に働く現地スタッフの気持ちがわかるわけがない。だから私が心がけているのは「無駄な贅沢」をしないということ。車も自分で運転するので、どこに行っても「運転する日本人をはじめて見た」と驚かれます(笑)。現地での宿泊も一泊1,000円ほどの宿ですし。日本から呼んだ若手社員も同じ。別に押し付けているわけではないですが、順応性が高いんですね。気がつけばひとりは現地の人から中古車を買ったり、もうひとりはバイクで通勤したり。そういった姿を見ていると「たくましいな」と嬉しく感じます。
髙田 うちも同じです。日本から来た社員は一泊1,000円の宿に泊まって、長期滞在する社員はバイクで通勤する。現地化することで彼らの日本人を見る目も変わってきます。それが信頼関係につながっているのかもしません。

八尾市のクリエイティブ産業創出事業「STADI」から生まれた「paol」。取り出し口を横向きにし、ティッシュの露出を抑え、ホコリや花粉の付着を防ぐ
●テクノグローバル株式会社

「仕事は真面目に取り組み、余暇もしっかりエンジョイする」というベトナム工場のスタッフと食事会
●テクノグローバル株式会社

何度も現地を訪れて「信頼できる人脈」を築くことが大切。

堀ー海外に進出されても、残念ながら撤退された企業もあります。その一因としてブローカーや関係者にだまされたという話も耳にします。ローカルの方とうまく信頼関係を築く、コツのようなものはありますか?
松本 突然「進出するのでパートナーを探します」では、だまされる可能性もありますよね。そうならないためには、人を見抜くこと。私はとにかく現地に足を運びます。工業団地を見たり工場を見て歩いたり、場合によっては学校を見て、近隣の人に経済事情を聞いてみたり。とにかく現地を歩いて、そのなかで接した人が信頼できるかを見抜いていく。
神谷 「人を見抜く力」ですか。
松本 そうやって何度か訪れるうちに、「この人は信頼できる」という人が増えていく。またお金を払って現地の調査レポートを書いてもらうこともあります。これによって「仕事をきちんとできる人」、「信頼はおけるけれど、事務作業などは苦手な人」というように自分のなかで分類していく。そうやって培った多様な人脈を使って、経営者を対象とした製造業視察ツアーもおこなっています。これまでも油圧ポンプのピストンで世界シェアNo.1であるタカコやINAX(現LIXIL)ダナン工場など、大手企業のベトナム進出も支援しました。
髙田 たしかにアジアでは人脈が非常に重要。先ほどからお話しているベトナム人の責任者は現地に多くの人脈を持っているので、そういう意味でも助かりました。大学の中に会社が設立できたのも彼のおかげ。信頼できる現地人の存在は大きい。インドネシアも人脈が大切でしょ?
神谷 おっしゃる通りです。ライセンスひとつを取るにもまず人脈。これがないと何も事業が進められませんから。
堀ーやはり人脈は大切ですね。最後に今後の展開についてお聞かせください。
松本 現在の事業を充実させるとともに、もうひとつ狙っているジャンルがあります。それは看護・介護の世界。ここも人材不足で非常に困っている。高齢化社会は今後ますます加速していくことが予想されます。ですから社会貢献という意味も含めて、学校から人材を輩出して、看護・介護の世界にも外国人材を増やしていきたいと考えています。
髙田 うちは設立時から「一貫したものづくりを追求する会社」でありたいと、走り続けてきました。そうしてようやく国内で設計・開発をしてベトナムで製造、それを世界中に販売するという体制が整ったので、それをさらに拡大していきたい。その流れのなかで外国人の労働力というのは必須ですので、今後もどんどん採用していきたい。また同時に現地ニーズも探ってオリジナル製品をつくり、グローバルに展開したいです。
神谷 われわれは「自分たちができることは何か」を問い続けたい。それによって国内、海外問わず、お客様の役に立って感謝してもらえる仕事をどんどん増やしていきたいですね。それと今後はアジアだけでなく、欧米の先進国を攻めていきたい。近々ドイツやアメリカをまわる予定ですが、松本さんがおっしゃったように現地に赴き自分の眼で見てしっかり確かめて、日本のものづくりの強みが発揮できる場所を探していきたいです。