MOOV,TALK
“変革と挑戦”を続ける企業には築ける未来がある。
「経営革新計画」で進むべき道を拓け。
補助金公募で加点項目にもあげられる「経営革新計画」。チャレンジしたい「新しい取組み」を申請書に書き起こし、承認されるとそれは自社にとっての「成功へのシナリオ」となる他、計画達成に向けた様々な支援策の利用申請が可能な心強い制度だ。“変革と挑戦”が求められる経営者にとって、経営革新計画はその一助となる。新商品の開発や生産、新サービスの開発又は提供、従来の生産方法や販売方法をより効率的なものに転換する等の取組みを申請書に書き出すことで、自社の現状や課題等を明確に把握することができ、従業者に共有できる良いツールにもなるはずだ。
今回は、過去に複数回の承認実績を持ち、計画の経営指標の目標伸び率を達成した3社の代表が集まり、「経営革新計画」に挑戦する意義などについて語っていただいた。
自社が直面する課題を洗い出し、
付加価値のある事業計画を立てることが大切。
原田 1回目の経営革新計画の承認を受けたのは2003年です。地元の泉南市商工会で説明会があったので軽い気持ちで参加したのが、そもそものはじまり。そこではじめて経営革新計画の存在を知り、当初はやはり「補助金につながる」というのが大きな魅力でした。
大西 最初はそこに惹かれますよね。
細山田 こういうメリットはいいですね。目標を立てる意欲が湧いてきます。
原田 そこでどうしたら承認されるか相談してみたら、「自社の現状や課題を整理して、強みを生かした新しい取組みを考えてみてはどうか」と言われました。当社は会社設立以来、一貫して古紙を再生してきましたが、そのとき困っていたのは、紙パルプの製造過程で排出されるペーパースラッジというゴミの処理です。今までは廃棄物として専門業者に費用をかけて引き取ってもらっていましたが、その費用が売上の約1%を占めておりまして。
細山田 それだと売上が上がるほど、処理するための費用も増えていくということですか?
原田 そうなんです。それを削減できないか考えていたタイミングで、大阪産業創造館のセミナーで炭化装置を知りまして。これを利用すれば、廃棄物を減らして炭がつくれると考えました。そこで「製紙スラッジの炭化による製品化」をテーマに、付加価値のある事業を生み出そうとチャレンジしたんです。助成金で炭化装置を購入して最初は順調だったのですが、3年目で炭を買ってもらえなくなって。結果的には失敗しました。
細山田 それは残念ですね。うちの場合はファブレスなので、まず原田さんの会社のように設備導入による補助金は対象外。私が惹かれたのは「金利が安くなる」、この釣り文句は素晴らしい(笑)。日本政策金融公庫による低利融資制度ですね。それで1999年に申請したんです。
大西 1999年って、かなり初期の話ですね。
細山田 たしか大阪府内で18社目の承認だったと思います。1回目は装飾性の高いネジ「ハイパーシリーズ商品(ボルト・ナット・リペット・スクリュー)の販売」がテーマでした。新製品の開発ですね。これによって経営力の向上をめざしました。
大西 最初に経営革新計画が承認されたのは、リーマンショックの年、2007年です。当時、うちは数をこなす大量生産が中心でした。ただ顧客の発注がさらに価格が安い海外へとシフトしはじめ、利益率も下がってきたんですね。そんな状態では到底、設備投資なんてできない。しかし今後を考えるとどうしても最新の機械を入れて、高度な付加価値のある仕事をする方向に舵を切りたかった。
原田 そのために優れた設備が必要になると。
大西 そうなんですが、先立つ資金がない。そこで「金属精密部品の一貫加工ラインの構築と販路拡大」をテーマにして申請しました。実はその少し前に発電関係の仕事を受注したんですね。その仕事で使用する最新の大型の5軸加工複合機や三次元座標測定器などを導入しました。2回目は「精密部品加工相談・試作センターの開設」。これは今まで外注していた最終の研磨工程を内製化するために、研削盤を導入したくて申請しました。
原田 国の「ものづくり補助金」にもトライされているんですね。
大西 こちらは2回、採択されています。2回目の経営革新計画を申請する頃、ちょうど「ものづくり補助金」がはじまったんです。こちらは補助金の申請書に経営革新計画の承認有無をチェックする欄があり、「有」の場合は補助金の審査で加点があったので、採択に有利でした。
原田 さっきの「精密部品加工相談・試作センターの開設」とは、どういう構想なんですか?
大西 一度世に出た工作機械のパーツを、新たに製造するところは少ないんです。ですから手がければ付加価値は当然
高くなる。そういうものをつくれるラインを確立したいと思いまして。これによって本来なら数社をまわって工程をこなさなければならない製品を、一貫生産できるようになります。開設と同時にホームページを更新、設備を公開してインターネット上でも受注できる仕組みをつくったのですが、大手企業からも問い合わせがきて、自分たちもびっくりしました。
計画を策定することの意義、
策定に取組むことで変化は生まれる。
細山田 経営革新計画というと、申請書の作成が大変で。最初は当時社長だった私と経理の責任者のふたりがかりで書き上げたのですが、とにかく時間がかかったと記憶しています。みなさんは申請書の作成で苦労されましたか?
原田 どういう点で苦労されたのですか?
細山田 数字ですね。それと当社は3年や4年ではなく、5年の事業計画を策定しようと考えていたので、「会社の5年後を描く」ということも難しかったですね。私は1977年に社長に就任以来、ずっと数字を掲げた計画は立ててこなかったので、とにかく数字に苦しみました。うちは約40年前に3,000万円ほど投資して製品開発をはじめたんです。その製品のおかげで売上は上がるのだけど、計画なんてあってないようなもの。事業は順調なのにお金はない、そんな状態が続いていた。つまり経営のイロハもわからず、熱意だけで突き進んできたと。余談ですが、金融機関の方に当時の話をしたら「よくご無事でいられましたね」と驚かれたほどです(笑)。
原田 私自身は、年度ごとに当社の経営計画の策定をおこなっていましたので、計画をつくること自体は嫌いではなかったんです。しかし最初の経営革新計画は3年間の計画で申請したのですが、達成できるかどうか不安な気持ちを抱えていましたので、私ひとりで作成してしまった。結果的には失敗しましたが、よかったのは3年間の計画を立てられたことと、その時の「余った炭をどうしようか」という考え方になれたこと。
大西 結局どうされたのですか?
原田 面白いもので、ときを同じくして和歌山の南高梅の種を「梅炭」というものにして、紙に取り入れられないかという依頼がありました。ちょうどスラッジでつくった炭を入れたら消臭効果があると考えており、梅の種ならより消臭効果も高いという裏付けもあった。こうして「2つの廃棄物を機能性のある紙に生まれ変わらせる」というプロジェクトが、社員を巻き込んで走りだすことができたんです。
細山田 失敗が商品開発のきっかけになったわけですね。
原田 そうです。独自の製法で梅の種の炭を紙の中にすき込み、「炭」の機能を持った紙に生まれ変わらせました。その再生紙のプロダクトブランドが「SUMIDECO(スミデコ)」です。そこから工業用クレープ紙を使った「crep(クレプ)」をはじめ環境に配慮したオリジナル商品開発、さらには少しでも環境への負荷を低減すべく、リサイクル用紙再生で使う水を浄化する「活性炭ろ過方式の排水処理設備」を導入することにもつながりました。「SUMIDECO」からはじまった一連の活動のおかげで、「循環型社会に貢献する」という企業理念も明確になりましたね。
計画の策定・実行までの苦労、
どのようにして計画実行をなしえたか。
大西 うちの場合、1回目の申請はスムーズだったんです。航空宇宙・医療分野といった超精密金属加工に狙いを定めて、そこで一貫生産が可能となる設備投資をしたいということで、すんなり承認されたんです。しかし2回目以降はとにかく大変でした。
細山田 どういうところが大変だったのですか?
大西 当社の場合、加工業なのでおふたりの会社のようなオリジナル製品がない。あらゆる分野からの「こんなのつくれる?」という難加工を解決するのが仕事です。「そのために新たにこの設備を導入し、当社の技術等と組み合わせて新サービスにつなげたい」と考えていても、承認の一つのポイントである「新規性(比較優位性)」を説明するのが大変でした。特に、1回目の経営革新計画との違いの説明が難しかったです。
原田 前と変わらないじゃないかと(笑)。
大西 そうなんですよ。でも、承認に向けて、大阪府担当者の事務職と中小企業診断士の資格をもつ研究員が2人体制で、大阪府咲洲庁舎で2回程、申請書の書き方などのアドバイスを兼ねたヒアリングをしてくれるので、補正を行い、無事に承認を得ることができたんです。それと、工場にも来られるので、現場を説明させてもらいながら、理解を深めていただきました。
細山田 うちの場合2回目は商工会議所でつながりのできた中小企業診断士の力も借りました。これは2011年に作成した「知的資産経営報告書」がきっかけです。一緒に作成してくれた中小企業診断士が、これをもとにした2度目の経営革新計画を勧めてくれたんです。この報告書に書いていたシールボルトとソフトグリップボルトなどの商品をベースに、2013年に「新機能締結部品の開発と販売」で経営革新計画の承認を得ました。
大西 これも新製品の開発ですか?
細山田 そうです。ボルトのシール面に溝を設け、耐油性・耐熱性・耐候性に優れたシール材を事前装着したシールボルトの開発で、工程の省略や締結作業の効率化などが図れるというもので、シリーズ化するまで成長しています。またソフトグリップも医療分野にて徐々に採用されています。大西さんと同じで、何度か咲洲庁舎に通い、当社にもお越しいただき、アドバイスを受けながら申請書を補正して承認していただいた。
原田 みんな同じ苦労をしていますね(笑)。うちも2回目は中小企業診断士に相談して、咲洲庁舎にも同行してもらいました。
細山田 2回申請して思うのは、大阪府職員の方々も当社の事業を理解しようと努力されており、的確な質問をしてくださる方が増えた気がします。申請手続きの過程で、第三者である大阪府職員の方が細かく内容を見てくれるので客観的な計画策定につながると思いました。
大西 そうですよね。実は当社はまた新たな取組みにチャレンジしていまして。設備の運用方法は会社によって違いますが、うちは扱う製品の性格上、複合的な機械が多くて。それって実際に扱ったことがある経験者しか、どれだけの効果を生み出すか予測できないんですよね。かんたんにいえば従来であれば4台で工程を回していたものが、1台でまかなえるようになるというものなのですが。
原田 それによって、他社にできない仕事が受けられるようになると。大西さんは今も新たな経営革新計画の達成をめざしているんですね。
大西 そうなんです。機械だけ揃えても扱う社員の経験やスキルには個人差がありますよね。うちの仕事で言えば、CAD/CAMを使いこなせる人材が必要。そのために今、CAD/CAMを初歩から上級まで教えてくれる先生を月3回招いています。それが2018年に5年の事業計画で3回目の承認となった「人材育成制度の整備と専任チームを設けることによって幅広い試作開発体制を構築し、競争優位を築き上げる」で、今年で計画3年目です。
細山田 これは次の世代につないでいくべき事業ですね。
大西 おっしゃる通り、この人材育成は継続していくつもりなので計画期間が終わったあとも、少し切り口を変えてまた申請したいと思っています。ただ先ほども言いましたが、新事業というわけでもなくオリジナル製品開発でもないので、毎回テーマを考えるのには苦労します(笑)。
将来の目標や経営理念を共有、
経営革新計画がもたらす社内風土の変化。
細山田 私は28歳のときに就任して37年間、社長業を務めてきました。振り返ってみれば「革新」の連続だったなと。実はね「経営革新計画」って言葉には思うところがあって。名前がちょっとたいそうかなと。なんだかとんでもない革命を起こさないといけないみたいでしょ(笑)。私自身、革新とは「どれだけ去年と違うことをできたか」だと解釈していて、それは新製品開発でも経営方針でも金融対策でも、なんでもいい。「去年と違うようなことをやりましょう」という言い方をすれば、みんなもっと取組みやすくなるんじゃないかと思います。
原田 たしかにそうですね。
大西 名前が敷居を高くしているところもありますね。
細山田 とはいえ目標を達成したということで、達成企業用のシンボルマークを使用できるのは嬉しかったですね。承認企業シンボルマークと少しデザインが違う。せっかく「達成」したのだから今後はカタログにも掲載したい。
大西 私は名刺の裏にでっかく載せていますよ。これって計画期間終了時に、経営指標の目標伸び率を達成した企業だけがもらえるもの。つまり達成企業シンボルマークは「優良経営革新企業の証」。2017年度に制度ができたそうで、大阪府内ではまだ43社しか達成企業がないんだから、胸を張って使っていきたいですね。
原田 達成企業という言葉だけとらえると、個人的には「達成した」という気持ちはないんですね。会社全体で付加価値が上がったということで、この数字を出しているので。経営革新計画の副次効果としては、先ほども話しましたが1回目が失敗したおかげで、「梅炭クレープ紙」の開発という新たな道を模索できたことが大きいですね。それ以降も社員が自主的にミーティングを立ち上げたり、会社の雰囲気も昔とはずいぶん変わりました。
細山田 その点ではおおいに同感です。私も社員を巻き込んでやったわけではないので、達成したという喜びは広がらなかった。それは今でもちょっと後悔している点。ただこういう活動を続けること自体はいいと思うので、もし次に挑戦することがあれば若い世代が中心になって、会社全体で取組んでくれたらと思います。嬉しいことに社内で少しずつ自主的なミーティングの動きは生まれていて。新製品開発会議を立ち上げたりしていますから。
原田 そうですね。私も細山田さんと同世代なのですが、今は若い社員にどんどんまかせてやってもらっていますし、「人材育成のために経営革新計画にチャレンジしてもらう」という使い方をしています。それによって社員に経営マインドが芽生えてくれればいいので。
大西 経営革新計画を通じて後継者を育成されているんですね。それはまさに当社も大きな課題かもしれません。うちも社員にまかせたいんですけど。現場のほうは人材育成がいい感じで進んでいますが、経営となると向き不向きもありますし、難しいですね。
原田 失敗してもいいからこういう事業計画を思い切ってまかせたら、意外とみんなやってくれますよ。大阪府もアドバイスしてくれますし。
革新し続けることを浸透させ
次世代へとつないでいく。
大西 これまでの3回の経営革新計画策定を通じて、様々な設備投資をし、会社の方向性を広げてきました。おかげで今、インターネットを通じてとても多くの案件が舞い込むようになりました。
細山田 工場もどんどん拡張されていて、凄いですよね。
大西 ものづくりの方向性を「超精密加工」へと変えてからは順調で、最新の加工複合機を次々と導入して顧客の要望に応えてきました。ただ同時に、繁忙期に新規の顧客を待たせてしまうという課題も生まれました。
細山田 それはもったいないですね。
大西 今後はそういうことをなくすために、飛び込みの注文でも対応できるような、機動力のある部隊を設立したいですね。また最近は5軸複合加工機を導入される企業も増えましたが、なかなか使いこなせていないところもあります。そういう会社に対して、スキルを持つ当社の社員がアドバイザーとして対応できればとも考えています。
原田 それはいいですね。うちの場合、2012年に「オフィス古紙による事務用品(封筒、便箋、ノート、名刺用紙等)等の製造・販売」が、2回目の経営革新計画として承認されました。これは会員企業から不用コピー用紙を回収し、オフィス用品などにアップサイクルして還元するサービス「PELP! (ペルプ)」として発展しています。紙を循環させる計画を4年前に達成したわけですが、それが今、SDGsとしてクローズアップされ大手企業からも注目されている。継続することで達成後もネットワークは広がりをみせています。
大西 「PELP!」はアイテム数も増えているんですか?
原田 もともと「オフィス古紙の再生率が低い」という課題解決のためにはじめたので、今はアイテム数というより会員数を増やすことを目標にしています。現在、全国で200社ほどですね。
細山田 そんなに参加されてるんですね。
原田 これも経営革新計画で大阪府から承認していただいたという「後ろ盾」も影響があるのかなと思っています。承認を受けたことで、金融機関や取引先など対外的な信用も増しますよね。
大西 それはたしかにあります。
原田 「PELP!」では参加される会社の志というか、環境への意識の高さを勉強させてもらっています。当社では以前から紙をつくるのに欠かせない、供給源である地元の川を、毎月、有志で清掃する活動もしてきましたが、2018年からは先ほどお話した高度排水処理設備を稼働させています。これは経営革新計画承認企業の支援策である日本政策金融公庫の低利融資制度を活用して導入された設備になります。今後も再生紙メーカーとして、資源の再生など環境に貢献する素材の商品化と、古紙回収から製造、販売まで含めた一貫システムをつくり上げたい。当社は7年後に創業100周年を迎えます。そこで大きな花を咲かせられるようにこれからも頑張っていきたいと考えています。
細山田 私の場合、会長職になって8年になりますので、おふたりとは立場が違うのですが。それでも先ほど申しましたように社内の変化、革新につながるような新製品やシステムを開発しようという若い世代の力を感じます。今後も大丸鋲螺のDNAとして革新を続けて欲しいし、そうなりつつある。「革新」というたいそうな言葉ではなくて、「去年とは違うこと」を追い求めてものづくりに取組んでいければいいと考えています。それこそが、本当の意味での経営革新だと思います。